ボローニャの歴史は紀元前 1200 年 頃に原始文明として始まった。前 6 世紀にはエトルスキ・フェルズィーナ(エトルリア人)によって最初の市街地ができ、その後ガリア人の支配下となった。 2世紀に街はローマ人によって占領され、ボノーニャ (Bononia) と名付けられた。 ローマ帝国の危機によって街は様々な権力の支配下となった:それらは、ビザンティン帝国、ロンバルド王国、そしてローマ教皇領であった。 ボローニャの街は、市民時代の中心となり、自由都市としての誇りを確言するまで常に繁栄した。 そしてまさにここで、 1088 年 ヨーロッパ初の大学が誕生した。 この時代には、ボローニャ貴族達の権力の象徴である無数の塔が建っていた。 1500 年 代には、新しい教会建築で富んでいたローマ教皇領の一部となっていた。 1786 年 にフランス軍がやってきたが、ウィーン会議(1815 年)後、街は教会へと返還された。 街にはオーストリア人が駐留していたが、 1860 年最終的に街はイタリア王国に併合された。
 ボローニ ャには約 38 キロメートルにもおよぶポルティコがある。 ポルティコは、新しい滞在場所を早急に必要とする大学関係者の人口が増えたときに誕生した。 建物の階部分以上は新しい部屋を作るために増築され、道路に面した階は通行と商業のために開放された。
 ボローニャ大学の起源は、ローマ法古文書の記述にみられる「グロッサトーリ」と呼ばれた著名なローマ法注釈者たちとの邂逅にある。 他の状況、例えばパリの場合、大学の起源は、教会や君主権力と結びついていたが、ボローニャではストゥディウム(学術研究所)は、学生と市の密接な関係に基づいて、権力や宗教とは無関係な学校の一例として成立したのである。 大学生活は常に街と密接な関わりをもっていたのだ。
ボローニャ料理、そのために街は「ふとっちょ」と呼ばれ、世界中で有名なのである。特に有名なのが、味わい深い「トルテッリーニ」だ。 伝承によると、トルテッリーニはヴィーナスのおへその形をモデルとした、という。有名な「タリアテッレ」はよく「ラグー(ミートソース)」で味付けされる。 これも伝承によれば、フェッラーラの公爵:アルフォンソ・デステとの婚儀における、ルクレツィア・ボルジアの長い金髪をまねたものだという。 同様に美味で、ぜひ試さねばならないものは、おいしい「緑のラザーニャ・ボローニャ風」と「肉のコンソメ・スープにはいったパッサテッリ」である。
|